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古今東西のエピソードから、人として大切にしたい心、元気がわく言葉を送る――エッセイスト・木村耕一のブログです。

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まっすぐに生きた女性

2010/05/24 16:10:13

こんにちは、木村耕一です。


長崎県の49歳の女性の方から、次のような愛読者カードを頂きました。


『まっすぐな生き方』を夢中で読んでしまいました。

勇気と爽快さを頂きました♪

今度は女性のエピソードもお願いします。


確かに、『まっすぐな生き方』の中には、女性のエピソードが入っていません。一生懸命に探したのですが、なかなか見つからなかったのです。

でもこれは、記録が少ないだけで、まっすぐに生きた女性は、数え切れないほど存在していたはずです。

(次回の新刊には、ぜひ、入れたいと思います)


実は、校正段階までは、水泳選手・前畑秀子さんのエピソードが入っていたのです。

しかし、「戦争が背景にあるので掲載はどうか?」という意見があり、見送ることになりました。


一人の女性として見れば、自己との戦いに勝利した前畑さんは立派だったと思います。少し長くなりますが、ここに、日の目をみなかった原稿を掲載しておきましょう。



「前畑がんばれ」の裏に隠された

孤独な戦い

プレッシャーを跳ね返すには、

休みなく練習する以外になかった


昭和7年、ロサンゼルス五輪に初出場した前畑秀子は、200メートル平泳ぎで、銀メダルを獲得した。18歳の快挙であった。

「私は優勝できなかったことに、それほど悔しくありませんでした。むしろ、よくやったと、自分をほめたい気分でした」

しかし、この喜びは、帰国してから粉砕されてしまう。

東京で開かれた祝賀会で、彼女は、見知らぬ紳士から、

「前畑さん、あなたは、なぜ、金メダルをとってこなかったのかね」

と声をかけられた。予想外の言葉に、胸に釘が刺さるような痛みが走った。

さらに、この紳士は、目に涙まで浮かべて、

「1位との差は、10分の1秒だったじゃないか。私はそれが悔しくてしょうがないんだ。銀メダルなんかに満足せず、4年後のベルリンオリンピックでは金メダルをとってもらいたい」

と、言うのである。

意気揚々としていた前畑の心は、一度に、暗く沈んでしまった。彼女は、これで引退して、結婚したいと願っていたのである。


学校の寄宿舎には、全国から、

「ベルリンで、がんばってください」

という手紙が山のように届いていた。見知らぬ人からの激励は有り難いが、これまで精一杯がんばってきた彼女にとって、「もっとがんばれ」と言われるほど、辛い言葉はない。

さらに、第2次世界大戦前の、高揚した時代の風潮が、

「おまえには、日本の名誉を世界に知らしむる義務がある」

「2位で帰って来て、悔しくないのか。日本中の人が、おまえに期待しているのだぞ!」

という言葉となって、前畑を追い込んでいく。


悩み抜いた末に、

「なにがなんでも金メダルを獲得するんだ!」

と彼女は決意した。当然ながら、オリンピックに出場するからには、「優勝」以外は許されない。このプレッシャーを跳ね返すには、休みなく練習するしかなかったのだった。


朝5時に起床。どんなに苦しくても、学校の授業が始まるまでに、6000メートル泳ぐ。

授業が終わったら、水泳部員と一緒に練習しながら、7000メートル泳ぐ。

夕食後は勉学に励み、午後9時から再び練習。電気もついていない真っ暗なプールで、独りで7000メートル泳ぐ。

このように、1日に合計2万メートル泳ぐことを日課としたという。

「夜の練習がいちばんこたえました。朝と昼の疲れが出て、全身の筋肉が痛み、水から上がっても歩くことができず、スタート台まで這っていったことがあります」


前畑は、がんばった。365日、1日として練習を休まなかったのである。この種まきの結果は、ハッキリと現れてきた。オリンピックの前年、東京で開かれた水泳競技大会で、世界新記録を出したのである。

新聞は、もう「ベルリン五輪、前畑、金メダル確実!」と書きたてた。

周囲から「勝って当たり前」「できて当たり前」という目で見られるのが最も辛かった。

「もし、優勝できなかったら、どうなるのか……」

こう思い詰めたとき、前畑は、

「金メダルをとれなかったら死のう。帰りの船から海へ飛び込もう……」

と本気で考えるようになっていた。


昭和11年、22歳で迎えたベルリンオリンピック。

女子200メートル平泳ぎの優勝は、日本の前畑か、ドイツのゲネンゲルか、と前評判を二分していた。

前畑もゲネンゲルも、予選から順調に勝ち進んでいく。だが、準決勝までの段階では、ゲネンゲルのほうが、良いタイムを出していた。


いよいよ決勝の8月11日。ほとんど眠れずに朝を迎えた前畑は、

「今までの練習を、絶対に無にしてなるものか」

と自分に言い聞かせて、スタート台に立った。

日本中の人々が、この一戦に注目し、ラジオの前で待ちかまえている。

「飛び込みました。とびこみました。いっせいに飛び込みました」

前畑は、ゲネンゲルのことも忘れて無我夢中で泳いだ。150メートルの最後のターンをした時も、自分の位置が分からなかった。

「前畑がんばれ、前畑がんばれがんばれ。ガンバレ。あと40、あと40……前畑リード、前畑リード、ゲネンゲルも出ております。ほんのわずか、ほんのわずか、前畑わずかにリード……」

加西アナウンサーの、放送史に残る名実況中継は、この時のものである。


ゴールしたとき、前畑には、勝ったかどうか、分からなかった。

全力を出し切ったため、ロープに手をかけても力が抜け、水の底に沈んでしまった。監督に助けられて、ようやくプールから上がると、観客席で日の丸が振られている……。「ばんざい」の声も聞こえる……。この時、初めて、前畑は、自分が優勝したことを知ったのである。

2位のゲネンゲルとの差は、わずか0.6秒しかなかった。

4年間、孤独な戦いに耐え、ひたむきに努力してきた種まきが、結実した瞬間であった。


まっすぐな生き方

木村耕一著

定価 1,575円(税込)

(本体1,500円)

四六判上製 296ページ

ISBN978-4-925253-41-3

1万年堂出版発行

http://www.10000nen.com/book/massugu/massugu.htm




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